4月8日

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新入社員が2人きた。

契約の更新が1ヶ月だけだった。

2ヶ月でおしまいなのかも、いろいろ覚えて頑張ったとして、向こうからするといつでも切れる便利屋さんだからいらなくなれば契約切ればいいだけ。わかっててそうなったのに、いざそうなると辛く悲しく、不安定な生活が嫌になる。そして、死んだほうが早いことに気がつく。


病院に行って意味があるのかわからない。薬はそのまま、私もそのまま、医者の言葉もそのまま、ずっと同じまま1年以上が経過した。病名の話もなく、年金がもらえるわけでもない。ただただ生命保険に入れなくなっただけのような。

よくない薬遊びができるようになっただけのような、寝逃げの手段が一つ増えただけのような、それらしいいいわけするための通院をしているような感覚。


はやく全部やめよう、孤独です、助けはないから、切られて終わり、経歴も経験もできることも資格もない、おわり。

就活は頑張れない気持ちが悪いから、まだ気持ちが悪いままなのでやりたくないという甘え、働くのは別にいい。面接でよくわかるないことをいって、よくわからない判決をくらって、よくわからないことを考えて、なにも答えられなくて、仕事を与えられたらやるだけじゃだめだから。


こういったスタンスなので短期で何かしてさようならをするのが向いてると思ったが、いざしてみるとあまりにも不安定で先のことも決められない、家も出られない。どうなっているのやら。自業自得。


結局一番最初に避けた道が一番正解だったのだと気がつく。失敗から何かを学ぶということ?

最初から正解だとわかっていたけど、やりたくないからしなかった。考えが甘く、頭が悪いだけ。


余計なことを考える時間が減ったから、自己嫌悪や希死念慮が減るのかと思ったがそんなことはなかった。

それらについて深く考えることはしなくなったが、ただ漠然となんとなく考える。掘り下げてもしんどくなるだけのことなので、浅いところで止まって頭が死にたくなるのならそのほうが良いかもしれない。


結局時間があってもなくても死にたいことに変わりはなく、自分のことを好きになるも嫌いになるも変わりがなく、なにも変わらない。

考えることを放棄して、幸福だと思うならそれでもいいのかもしれないが、放棄した上で幸福とも思わないのならこの脳みそは捨てたほうがいい。


眠い、家に帰ってご飯を食べて寝る。それだけの繰り返しで一生は終わるらしい。食事もゲームも楽しくない、読書をしている。この本は面白いのかもしれない。幸福や楽しさがなんなのかわからない。むかしは確かに感じ取れていたのか、それもわからない。ずっとわからない感覚を、ずっと欲している。わからない、わからない、わからないけど確かにあるとされているもの。わたしがわからないだけで、他の人はわかっているもの。はやく死のう、はやく死のう。死にかたがわからない、親が死ぬまでは生きてないといけない、苦しい。わたしをこの世に縛りつけているものは親の存在だけかもしれない。親が悲しむから、悲しませたくないから生きている。それだけのことだから、意味も意義もやりたいことも動機もない人生だ。誰かのために生きるほうが向いている。自分のための人生だとか、自分で決めるとか、そういうことが怖いから他人に任せたい。他人に死ねと言われたら死ぬ、それでいい。楽で良い。思考を放棄したロボット、それ以下の性能しかない。


苦しくも楽しくも面白くも幸福でもない、なんでもない。

疲労だけかもしれない。

考えるのをやめましょう。

はやく寝ましょう。それで全部無かったことになります。